社協発足のころ
大船渡市社会福祉協議会
初代会長 鬼海 正道
昭和26年全国に社会福祉協議会が発足し、気仙郡にも白木沢吉浜村長を会長として設立されました。翌昭和27年大船渡市の誕生と共に市の社会福祉協議会が、地元の要望に応えて発足しましたが、前例がないため暗中模索するばかりにて各種団体の協力を求めることはもちろんですが、同志的結合のもとに全民生委員が一丸となり5名の市職員((注)当時の福祉事務所職員は5名)と一体化し、その指導のもとに直接市民の指向するものを掘り出し、役に立つものを築き上げてゆくことを目途としました。「人の世話をしましょう」「人の世話にはなるまい」そして「なんらの報いも求めまい」の基本姿勢でした。心配ごと相談所を全民生委員の自宅を窓口とし、地を這うような社会調査を徹底し、問題の発見と解明と対処に万全を期することに心掛けました。直ちに役に立つ資金造成には、県社協の小川金英会長の主唱実践している助け合い金庫をまねて設置、全民生委員が各自500円を拠出し発足、橋爪家から前後2回にわたり香奠返しとして多額の活動資金を頂きその運営に寄与して頂きました。
老人福祉については、昭和33年老人クラブの発足をみ、次々と全町に組織されました。長寿の目標として、85才以上の老人に赤い羽根の還元金で座布団の贈呈を初めましたが、初年度は72枚でしたが、昨年は200名以上の方々に贈呈されたとのことで、長寿の今昔に感を深くしました。当時の大洋学園発足にあたっての木下弘道師の献身的な努力、身障者の自主的活躍、児童福祉に対する関係者の意気込み等に頭が下がる思いでした。当初の社会福祉事業は、低所得階層が対象でしたが、その後は全階層からそれぞれ異なった問題の多発を予想し、高所からの問題の発見に万全を期することにしました。又今後の福祉は金、物と共にお互いに支え合う心が大事と思い、温い人間性の持主としての市民実践本位の歩みかたに主眼をおきました。ほめられもせず自腹を切り、時間と労力を提供し、物好きと言われながら、社会福祉に生きがいを感じ、献身的に黙々とお働き下さった同志のかたがたに誠意をこめて敬意を表し、今回も立派な拠点を築きあげて下さった関係者のかたがたに心からお喜びと感謝を申し上げる次第であります。
老人福祉については、昭和33年老人クラブの発足をみ、次々と全町に組織されました。長寿の目標として、85才以上の老人に赤い羽根の還元金で座布団の贈呈を初めましたが、初年度は72枚でしたが、昨年は200名以上の方々に贈呈されたとのことで、長寿の今昔に感を深くしました。当時の大洋学園発足にあたっての木下弘道師の献身的な努力、身障者の自主的活躍、児童福祉に対する関係者の意気込み等に頭が下がる思いでした。当初の社会福祉事業は、低所得階層が対象でしたが、その後は全階層からそれぞれ異なった問題の多発を予想し、高所からの問題の発見に万全を期することにしました。又今後の福祉は金、物と共にお互いに支え合う心が大事と思い、温い人間性の持主としての市民実践本位の歩みかたに主眼をおきました。ほめられもせず自腹を切り、時間と労力を提供し、物好きと言われながら、社会福祉に生きがいを感じ、献身的に黙々とお働き下さった同志のかたがたに誠意をこめて敬意を表し、今回も立派な拠点を築きあげて下さった関係者のかたがたに心からお喜びと感謝を申し上げる次第であります。
(昭和58年4月発行「社協30年の歩み」より(原文ママ))
鬼海 正道(SHODO KIKAI)
浄願寺住職。昭和27年10月7日大船渡市社会福祉協議会会長に就任。6期12年在任し、昭和39年3月31日会長退任。以後理事として8期19年在任し、昭和58年5月3日退任。
浄願寺住職。昭和27年10月7日大船渡市社会福祉協議会会長に就任。6期12年在任し、昭和39年3月31日会長退任。以後理事として8期19年在任し、昭和58年5月3日退任。